[vol.3]evala×唐津絵理 対談 テクノロジーで引き出す新しい知覚

2023.07.18 INTERVIEW

『Rain』にまつわるアーティストとの対談シリーズ。
今回は、evalaと唐津絵理による対談の連載最終回となるvol.3をお届けします。
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唐津:3月の愛知公演のパンフレットに書いてくださったルイジ・ノーノの言葉についてお聞きしたかったのですが、「人間の技術の変化の中で、新たにこれまでと異なる感情、異なる技術、異なる言語をつくりだすこと。それによって人生の別の可能性、別のユートピアを得ること」 という言葉を思い出されたそうですが、evalaさん自身もそのようなユートピアを目指されているということでしょうか?

evala:そうですね。僕が常々思っていることですが、新しいテクノロジーを用いて、新しい感情や新しい知覚を引き出していくことを探求したいと思っています。See by Your Ears、日本語にすると「耳で視る」ことは、五感という区分を飛び越え共感覚的であり、非常にプリミティブ。ジャンルを取っ払って、そのプリミティブな知覚や感情を、今までにないやり方でどう新しく引き出せるかを常に考えています。『Rain』のようなコラボレーションワークを行う時も、この姿勢は大事だと思っています。

唐津:共感覚的なものってすごくプリミティブなもので、ある意味自然に帰るというような認識になるところを、evalaさんは、テクノロジーを使うことで、そこに気が付くようにされていることが興味深いです。「環世界」という言葉がありますが、人間が持ってる環世界って実は狭くて、そこの回路を開くように、テクノロジーを導入したり、音楽の力をもう少し信じてみるということをされているのかなと感じました。人間が発達するにつれて視覚に頼るところが多くなってきてしまっていますよね。

evala:はい、まさに視覚優位に進化してきました。でも、AIとも共存していくこれからは、物質的で目に見えるものばかり取り上げる思考は続かず、目に見えないものへの思考や創作がより求められるようになってくるのではと思います。僕は立体音響などで先端テクノロジーを使っていますが、いわゆるメディアアート、テクノロジーアートとはうたっていません。人間が持つ潜在的な聴覚の可能性をひらくこと、簡単に言うと「耳ってこんなにすごい感覚器官だよ」と感じてもらうためにテクノロジーを使っています。

世の中で言うテクノロジーって、利便性や合理化ばかり取り上げられやすいんですが、例えば「なんだか知らないけど涙が溢れてくる」というような、知らなかった感情を引き出すための使い方も模索するべきです。それが現代に生きるアーティストの役目ではないかと思っています。

:2020年にDance Base Yokohamaで視覚障害者の方々にダンスを見てもらうっていう研究会を実施したことがあるんです。すごい近い距離でダンサーの息遣いとか音を捉えていて、それから多くの方が寝っ転がって鑑賞されたんですよ。床に耳を当てて、全身でダンス見ている状況が生まれていました。今回の作品はそういった方にも見てほしいなと感じましたですね。これまで視覚に障害がある方と何か一緒にやられたことはありますか?

evala:以前に目の見えない方に僕の無響室シリーズ作品を体験頂く機会がありました。体験後、口元に笑みを浮かべながら部屋から出てきて、「とてもエキサイティングだった!」と感想を頂きました。その時にとても印象的だった言葉があるんですが、「情報ゼロの音がこんなに楽しいと思いませんでした」という言葉です。

「情報ゼロ」と聞くと、面白くないと受け取ってしまいそうだけど、彼らにとって音とは常に「ここに危険がある」「こちら側は危ない」と知らせてくれる、リスクを回避するための情報なんです。また、体験された方は先天性視覚障害の方で、音楽を鑑賞するときは楽譜を言語学習するように聞いていたそうです。それまでの音楽も含めて、音は彼らにとっては言語であり手段だったから、「生まれて初めてそこから解放させてくれた」体験だったそうです。「見えないから、見えている人たちの世界を想像し必死で追っていたけど、音そのものをそのまま楽しめばいいのですね」と言ってくださいました。情報から解放し、その人の固有のイマジネーションを内側から立ち上がらせることが重要なのだと、あらためて思いましたね。

:はい。頭脳から解き放たれて、もっと根源的な想像力に働きかけられたらと思います。

『Rain』は、3月に愛知公演がありましたが、8月に向けて、アップデートしたい部分や考えていることがありますか?

evala:全体を通してみた時に、ダンス・美術・音楽全ての要素が混じり合って濃度が高い印象を受けました。とても良いことでもあるけど、逆にもっと引いたほうが面白くなるのではないかと思っています。引くというのは、洗練させていくということではなくて、奥行き感や想像力を掻き立てるための大胆さです。舞台としてはつい分かりやすいドラマや盛り上がりのようなものをサービスしがちだけど、例えば昔の能舞台は幻覚や幻聴を楽しむ場でした。この『Rain』も、原作に書かれている十人十色の解釈がある世界に、目にうつらないクリエイションでしか体感できない奥行きが加わったとき、よりユニークな作品になるのではないかと思っています。

唐津:よくわかります。やはり体感するっていうことの中に、上演中だけの一時期の時間だけではなくて、会場を去った後でもさらに日常にまでずっとシームレスに続いていくような空間と体験みたいなものがお客さんに残るといいなと思っています。本日はお話を聞かせていただきありがとうございました。

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