[vol.2]大巻伸嗣×唐津絵理 対談  もう一人のキャストとしての美術

2023.07.22 INTERVIEW

『Rain』にまつわるアーティストとの対談シリーズ。
今回は、3回にわたり連載する大巻伸嗣と唐津絵理による対談のvol.2をお届けします。
■vol.1はこちら

唐津:『Rain』の場合は、美術に対峙、あるいは干渉する存在としてのダンサーがいるわけですが、通常の創作とどういう点が違いましたか?

大巻:彫刻やオブジェクト以外のもので、運動体として存在するもの(=ダンサー)が出てくるわけですよね。その運動体と、彫刻やオブジェクトが、どのように関わりながら新しい運動を起こしてくるか。私が創っている彫刻そのもの、もしくは空間そのものが運動できるか。動きを作り上げ、それをビジュアル化できるかどうか。というところを今回の作品で取り組んでいます。それは、直感的にしているところもありますし、計算的しているところもあります。

『Rain』では、自分がその動きを決めるわけではないので、竜さんが考えている動きに対して、その運動体を阻害し、かつ運動体自体をもっと見せていくようなことを意識しています。舞台では、もう一つ引いた視点として観客の視点があるので、観客の方にも運動体として繋がっていく方法がないか。一つの舞台装置という何か動かないオブジェではなくて、ダンサーと関わりながら、空間を占めるもう一つの運動体を作り出すものとして考えていました。

唐津:たとえテーマがどんなものであっても、大巻さんが舞台の中で美術を担うにあたっては、その運動を生み出すことが重要なのだろうなと感じていました。

大巻:重要です。美術と呼ばれる言い方よりは、もう一人のキャストという感覚で創っているんです。普通の舞台美術というのは、何かに使われるためにあるのだけれど、僕にとっては、何かを動かすためのものとしてあります。ダンサーがその運動を起こしていく要素であって、それを変換していく装置が僕の彫刻だったり舞台になるみたいな。逆説的に、人間が表現するという考え方を人間を使っているということもできる。例えば、言語を使って話している時、話しているという主体が人間にあるように見えて、実は主体は言語だったりする可能性がある。つまり、何がダンサーを動かしたかというと、その美術としてある紐がそうさせたという可能性もある。その関係性を逆転させたりすることができるものとして、相対的に存在するというのが面白いのではないかと思います。舞台の見方が変わるというか、舞台というのは、人がきれいに動くためにあるのではなくて、人が動かされているという感覚もあってもいいのではないかなと思っていました。

唐津:創作の初めの段階に、2年前から原作を読んで、どのように解釈していくのか、どこにフォーカスして、どのような世界を描くのかということを大巻さんとお話させていただきましたが、「具体的な動きを見たい」ということをずっとおっしゃっていたことが印象的でした。DaBYでのクリエイションの様子をオンラインで繋いで、それを見ながらずっとドローイングを描かれていましたよね。それは具体的な動きを見ることで、先ほどのオブジェの動きみたいなことが想像できたり、動きとの具体的な関わりがあるのでしょうか?

大巻:今動いているものは目の前で起こっていることなので、ある運動そのものを捉えることができたときに、それを空間の中でどのようにぶつけられるか?を提案することができると思っています。ダンサーは何もない空間で動いているので、その動きを阻害できる方法がないか、ダンサーがどのような空間で動いているのか、というようなことを手を動かしながら考えています。それは、創作プロセスの一つです。

唐津:手を動かしながら考えるということは、絵を描かない人にしてみれば、難しい感覚ですね。

大巻:ダンサーは、身体を動かしながら掴んでいくと思いますが、僕も空間を捉えるときに、自分の身体でその空間を歩いたり、身体を基準に測ったりしながら、ダンサーたちがどのように動くのか、その人たちが塊として、もしくはそれぞれとして、どうぶつかってくるんだろう、どうエネルギーが動いているんだろうということをある程度想定しながら、捉えていきます。そのもの自体を理解することは困難だから、言葉ではなくて身体に取り込んでいくような感じです。

唐津:インストールしている感じなんですね。

大巻:そうです。例えば、そのオブジェクトに対して、ダンサーたちが“道具”という感覚を持っているのか、“身体の一部になる”という感覚なのかで、本当に違うものが生まれると思うんですよ。ダンサーは、舞台や空間にオブジェクトが存在していることの認識を溶かして、その異物というものを身体の一部へと変換していく一つのプロセスを生み出していると思います。彼らは、舞台という一つの身体を作り、運動体を作り上げていっていると僕は理解しています。最初は、異物であるものから、彼らがどのように運動と認識を混ぜ合わせていけるか、彼らがどのように環境というものを作って、自分たちの世界にしていくのかということが、舞台としての面白さなのではないかと感じてます。

唐津:あれだけ存在感のある美術が舞台の中央に置かれることによる制約みたいなことが、そこで動いているうちに逆に必然のものになっていくことや、ある種の制約が与えられることによって生まれる新しい表現を見たいということを創作過程でもお話されていたと思います。でもやはり最初、ダンサーにとっては、どうしても制約的な面を考えてしまいがちだったと思います。

大巻:そう思います。僕は左利きなんですけれど、右利きのハサミを使うとき、最初すごい辛かったんですよ。今は、左利きのものも売っているけれど、右利きのハサミでないと切れなくなってしまって。これは何なんだろうなと感じていましたが、何利き用、何用のような概念を押し付けられると、その中でしか身体が解放ができないのだと思います。こういう不自由の中にこそ、その概念を超えて、プラクティスをしながら、発見して掴み取っていくことがある。これは荒川修作さんが言う「死なない身体を掴み取る」みたいなことに近いかもしれないけれど、こういう不自由が、人間の身体機能の超感覚を呼び起こして、生命体としての力を発揮することに繋がっていくのではないかと思っています。

唐津:身体のすごい可能性ですね。

大巻:ダンサーはその最先端をいっていると思っています。それをトレーニングしていて、あらゆる環境をどう取り込むかというプラクティス、挑戦をするものだと思っています。その舞台の中で見せてくれるその身体の可能性っていうものが観客の心を溶かしていく。それが、ビジュアルとして見えてきて、空気として浸透していく。それが舞台の面白さなのではないかなと思うんですよね。そういう舞台になっていくといいなと思います。僕の作品は、舞台上で異物感が強いんですけど、ダンサーがそれをどう掴んでいくか、彼らがどう考え反応していくのか、その身体のあり方を見続けていくのは、いつもすごく面白いです。

唐津:もともと舞台を鑑賞することがお好きなんですよね。

大巻:はい、好きです。スポーツもよく見るし、元々空手をやっていたこともあって、人が限られた空間の中で動く、戦うというものが好きですね。

唐津:動く身体と自身が生み出す作品との共鳴みたいことがあるってことですよね。

大巻:そうです。それがないと多分僕の作品っていうのは意味がないと思うし、そういう空間をずっと作り続けてきていると思っています。

唐津:もともとはいわゆる動かない彫刻を創られていたのですか?

大巻:それは大学生の時に創っていました。小学生の時は欄間を作りたいと思って、小学生の時に、子どもなりに欄間師のところに連れて行ってもらって、そこで教えてもらっていました。

唐津:小さい頃から作るということが大好きだったんですね。それが動かないものではなくて、可動性のあるものに変化していったきっかけは何かあるのですか?

大巻:動く、動かないというよりも、成長するものというか、進化するものが好きなんだと思います。人体などの彫刻を創っていたりもしたのですが、それをどれだけ創ってもなぜか自分の作品とは思えなかったんです。岐阜駅前の問屋町というアーケード街で生まれ育ったことで、空間そのものを体感していくことに惹かれていたんだと思います。それは、彫刻が台座から開放されて空間になった時に、広がりを持ち環境そのものを体験させていくということに繋がっていきました。

唐津:その街の感覚がご自身の作られている空間の感覚と近い状況が生まれているのでしょうか?

大巻:近いですよね。制限がない世界を作りたい、環境を作りたいところがあると思っています。いろいろな視点や次元で動かしていけるようなものを作りたいなと思っていたので。彫刻というと、物を集約して、詰めていくような感じが強かったのですが、違うものと呼応しながら空間を成立させる方がやりやすかったというか、気持ちがすごい開放されていきました。それは自分が遊んでいたときの感覚と同じです。

自分の生まれた町のアーケード街というのは、反物が何百も積まれているところで、それを崩したり、もう一回組み直したり、上によじ登って飛んだりしていました。半透明なアーケードの上から、下を歩いている人たちが、季節に応じていろいろな色になって、冬には、アーケードの上では雪が積もっていて、下では雪が積もっていなくて、ガラス越しに下の人たちが見えたりします。そのような時空間のずれみたいなものを感じる遊びをしていたことが影響していると思います。

唐津:お話を聞いていて、空間の認知感覚、身体と空間の関係性がずっと創作のベースにあるように感じました。

大巻:そうですね。格闘技もそうだけれど、その間合いだとか、空間に対する俯瞰した視点で捉えることが制作のベースにあると思います。

vol.3につづく 

■vol.1 『Rain』美術、決定の舞台裏
■vol.3 進化し続ける『Rain』

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