2023.07.20 INTERVIEW
『Rain』にまつわるアーティストとの対談シリーズ。
今回は、3回にわたり連載する大巻伸嗣と唐津絵理による対談のvol.1をお届けします。
唐津絵理(以下唐津):本日はありがとうございます。今日のお話では、『Rain』への関わり方やどのようなことを思考されたかについて伺っていきたいと思います。大巻さんに関わっていただいたのは、2年くらい前でしょうか?
大巻伸嗣(以下大巻):最初にこの企画の連絡をもらってから、もう2年が経ちましたよね。
唐津:サマセット・モームの「雨」を舞台化するにあたって、イメージの段階から美術の存在が大きいと考えていて、単なる舞台の美術であることを超える「雨」、その時に起きている状況や環境、そういったもの全てが美術に包括できるような予感がしていました。
その大前提として、大巻さんの作品を最初に意識して拝見した、森美術館の企画展(2015年、「シンプルなかたち:美はどこからくるのか」)での『Liminal Air』が、実はとても強く印象に残っていて、もちろん外からその造形が移り変わっていく様子を見ていてもすごく心踊るし、その作品自体の魅力があるのですが、そこに自分の身体を関与させたくなるような双方向的な作品だという印象を受けました。その後、「あいちトリエンナーレ2016」で部屋全体を使って大きな展示をされた時も、作品の中に入ることで鑑賞体験する作品でしたし、エラ・ホチルドさんと協働された『Futuristic Space』(2019年、横浜赤レンガ倉庫1号館 3Fホール)ではまさに舞台美術として拝見しました。そういった中で、単なる造形的な舞台美術ではなくて、もっと身体と深くコミットできるダンス作品というものをイメージして、オファーさせていただきました。
まず、その時に思い浮かんでいたのは、『Liminal Air』だったんですけれども、最初にお話をさせていただいた後に、全く別のたくさんアイデアをいただきましたよね。リサーチが始まってからも、大巻さんがダンサーを見ながらスケッチをされて、その中でアイデアをいただいたのですが、まず、大巻さんにとって、創作時の発想の原点はどこにあるのでしょうか?
大巻:どこからでしょう。正直、何もしなければ全く湧いてこないんですよ。自分の中に意識と無意識の地層があるとしたら、その無意識の地層まで掘り当てないと水が上がってこないので、それを探るということをしています。
『Rain』では、モームの「雨」を読んだりしながら、竜さん(注:演出・振付の鈴木竜)といろいろなことを話しました。でも、それだけでは言葉にしかならない、どうしても身体を通して“下ろしてくる”方法を取らないといけないから、ドローイングをします。例えば、竜さんと話していても、スタッフの皆さんと会議をしていても、それが正しいか正しくないかは別として、一度ドローイングに変換します。例えば喋っている言葉の中で、精神と現象の二つの時間軸が動いていたりして、精神的に裏で見えないものと表層的な人間が行動して現れてくるものという、精神と現象の二つの時間軸が空間に何か起こしてくる可能性はないだろうかと考えたり。もしくは、二人の人間を空間の中に存在させながら、一人の人間なんだけれど二人存在するような多重性を存在させていくというような空間構成を提案したり。話し合いの中でそのようなイメージが出てきて、それを繰り返しながら進めます。
いつもの作品だと、もっとギリギリまで決まらないんですよ。たとえ途中まで創っていてもギリギリにひっくり返してしまこともあります。
唐津:それは、自分の中でアイデアを模索しているので、なかなか定まってこないということでしょうか?
大巻:ダンサーも似てるのではないかと思いますが、ダンスなどの身体性を持っている人たちは、決めてはいるんだけど、探りながら最後の最後で直感で見えてくる瞬間があって、その見えた瞬間に決まるんだと思うんですよね。それと同じようなことが、僕の中にも多分起こっていて。不確かだから、「多分これが近いんじゃないか」ということを繰り返して、間違った線を繰り返し引くことをしないと、最後に「これだ」と言えないんですよね。ただ、最後に「これだ」というところで、逆走する場合もあります。つまり、“これ”をやってきたけど、最後は説明的になるから、むしろ違う方がいいのではないかっていうことを展覧会の2週間くらい前に変えたりすることもあるんですよ。
新たな製作が必要になるので、みんなにも迷惑をかけるだろうし、本当に変更してもいいのか?という僕の心の迷いもあって、いろいろと覚悟はします。でも、変えていかないと成り立たないと思うことはよくあって、展覧会を準備する過程でアイデアをひっくり返すことは多々あります。
唐津:最初の頃にいろいろアイデアを出してくださって、私はどれも実現させたいなと思うくらい面白い美術案を沢山の考えてくださっていましたが、最終的には『Liminal Air – Black Weight』(2012)がベースになりました。大巻さんが『Rain』でこの作品を選ばれた理由を聞かせていただけますか?
大巻:板を使ったものや、シーソーなど、いろいろなアイデアがあったけれど、それらはあくまでも装置にはなるけれど、役者にはならないなと思いました。
生きていく中で、どうしても逃れられない、頭の上から消えないモヤモヤってあるじゃないですか。そのモヤモヤに気づいている身体と気づかない身体があると思います。『Liminal Air』が、頭上から遠く離れたり、近くに寄ったりすることによって、そのモヤモヤに気づき始めて意識する身体になり、その中に徐々に埋もれていくような身体を生み出せるのではないかと思いました。美術とダンサーとの動きの関係を深めていけるし、意味合いも広げていける。そして、その美術の位置によってその人たちの精神をビジュアル化できるのではないかと考えました。今回、他のいろいろなアイデアも出しましたが、一番ミニマルで、最もこの舞台に合ってるのではないかと感じています。
vol.2につづく
■vol.2 もう一人のキャストとしての美術