2023.07.19 INTERVIEW
『Rain』にまつわる対談シリーズ。
7月9日(日)にTwitter スペースにて実施したトークを一部編集してお届けします。
東海:8月の公演に向けてリハーサルが始まったところだと思いますが、リハーサルをご覧になっていていかがですか?
唐津:3月に初演を終えた作品について、それぞれ関わってらっしゃる方々がどこをアップデートしなければならないかがクリアになってきているので、そこを丁寧に詰めていく作業になっていると思います。今回3人出演者が変わっているので、振り直しも行っています。出演者が変わってパートナーも変わったりするのですが、作品の雰囲気がこんなにも変わるのか、と思っています。印象がずいぶん変わりますね。
東海:『Rain』はDaBYにとっても大切な作品だと思いますが、この作品が生まれた経緯をDaBYの軌跡に合わせてお話いただきたいです。
唐津:DaBYは先月末でオープンからちょうど3年になりましたが、コロナと同時にオープンしたダンスハウスだったので、最初の段階から構想していたことができない状況になり、その中で何を最初にすべきか、と原点に立ち返る作業から始まりました。『Rain』の構想自体は実は5年くらい前からありました。、DaBYマネージングディレクターの勝見さんから好きな本があると紹介され、いつかダンスとしてプロデュースしてくれないかと言われたのがきっかけです。その本が、作品の原点となったサマセット・モームの「雨」という作品でした。すぐ1回読んだのですが、そもそも現代の視点から物語をダンスにしていくことの難しさを感じていたこともありこの物語をベースにすることの必然性や理由みたいなものが必要だなと感じました。なので、すぐにはできないと思って頭の片隅にしまっておいたのです。
一方で、アソシエイトコレオグラファーの鈴木竜さんとも、どんなチームで作品を創っていくかを話していました。日本のコンテンポラリー・ダンスを巡る状況はすごく厳しくて、もちろん演劇やバレエも同じですが、良い作品を創っていく土壌や環境がなかなか持てなかったり、創れたとしても再演ができなかったり、と課題が山積です。そういった本当に厳しい状況がある中で、何とかこの環境を少しでも変えられるような提案をしていきたいということをずっと考えてきました。そのひとつとして、DaBYでのクリエイションでは、出演者もスタッフも全部固めて「さあ創りましょう!」と言ってクリエイションを開始して発表するという形ではなく、作品を創るためのリサーチにもきちんと時間をかけて、そしてこのタイミングで作品を発表することが腑に落ちる段階で本格的なクリエイションに入る形で取り組んでみることにしました。種から芽を出して育てていくみたいなことをしなければ、どこかで行き詰まるなと思ってきたので、竜さんとも、1年目はとにかくリサーチをし、ちょっとしたクリエイションとショーイングを実施しました。本当にそれが最終的に作品まで結びつくかどうかもわからないままに作品を創るためのリサーチと、トライアウトを実施し、を1年目にはこのサイクルを3回重ねました。
翌年はコロナも少し状況が好転して発表できるという段階になったので、3つの作品を創りました。「私のからだは私のものか」という全体タイトルをつけて発表したのです。初めてコンテンポラリーダンスに触れる方にも見やすいように、コンパクトな20~30分ほどの作品を創りました。それは、再演することも意識した小品でした。こうしてできた作品は、「パフォーミングアーツ・セレクション」を通じて再演を続けていますが、竜さんの作品以外にも「ダンスの系譜学」で上演した酒井はなさんと岡田利規さんの作品や中村恩恵さん、安藤洋子さんの作品なども組み合わせて上演しているので、観る人にとってはバラエティーに富んだ作品を見られる機会を作れていると思います。コンテンポラリー・ダンスは抽象的でわかりにくいといわれることも多いですが、3つぐらい作品があると、その方にも1つぐらい面白いと思うものがあるかもしれないですし、特に地方で公演をするときには、ダブルビルやトリプルビルの取組みは気軽に見れる良いフォーマットだなと感じています。
そして3年目として、一晩ものの1つの作品を創るにあたりどんな作品にしようかというときに、この作品を思い出ししました。原作は、感染症によって旅をしていた人がある島に閉じ込められるという内容なので、今のコロナの状況にすごく合っていて、このテーマに取り組む必然性を感じました。
東海:ロングスパンで考えてきたことが少しずつ実を結んできた3年だったと思いますが、その中でプロデューサーの役割はどういったものになるのでしょうか?
唐津:プロデューサーといっても、本当に人によって違いますが、私自身が担う役割は、プロデューサー的であることもあれば、そうでないときもあります。プロデュース公演を実施するときのように、テーマを決めて予算を確保して、制作スタッフや関連する舞台スタッフを集め、出演者を決める、というわかりやすいプロデューサー像を担っていることもありますが、そのほかにも例えばあるカンパニーに作品を作ってくださいと委嘱をオファーするときもありますし、コンセプトを決めて複数の作品を並べて一晩ものにするときはキュレーターという呼び名の方がしっくりくるような仕事もしています。また、DaBYの場合は、アーティスティックディレクターという肩書なので、DaBYや日本のダンス界が変化していく道筋をアートの視点からディレクションしていくといった意識を強く持っています。DaBYの1年目~3年目の取組みについても道筋をつけるという意味では作品そのものをプロデュースする場合でも、作品の内容のみならず、文脈を作っていくこと、そのためにディレクションをしているような感覚が強かったのですが、コロナによってすべて白紙になってしまったというのが正直なところです。いつもアーティストがどんな表現をしたいかを探りながら作品を創るタイミングを測っていますが、コロナでみなさんとても慎重になったとの感覚を受けました。創りたいということよりも、今本当にこの状況の中で作品を創るべきか、本当に私はダンスをやってていいのかというところに立ち戻って考えていたと思います。
東海:1年目からコレクティブという手法でクリエイションを進めてきていましたよね。
唐津:そうですね。1年目はコロナで一から考えていくという中で、ダンス関係者だけでなく、音楽家やドラマトゥルクや建築家、衣裳デザイナーの方など、と多方面のアーティストと一緒にクリエイションしていくということを実験的にスタートしていきました。
ここの中にも今のダンスのクリエイション環境に対する提案のような意味合いが含まれています。よく私たちの中では話題に挙がるのですが、日本における演出家や振付家の役割には、ものすごくたくさんの要素が期待されてしまっています。それまではダンサーとして踊っていた人が、その他の分野に関して専門的な教育を受けたり学ぶ環境があったりするわけでもないのに、振り付けを行い、動きを作るだけではなく全体のディレクションまでして、さらに照明や音響なども場合によっては、制作スタッフがいないから、制作的なことまでやらなければならない、といった具合に、全て1人で担わなければならないような状況です。このクリエイション手法には無理があるのではないか、という思いがずっとあり、それぞれの分野の人の力を借りて一緒に作品を作っていくという、コレクティブな体制を整えるのがいいのではないかと思っています。パフォーミングアーツこそ、本当はいろんなジャンルの人たちで協力し合えばもっと大きな力になると思っているのですが、日本ではほとんど行われていないというのが現状です。今回の『Rain』でも美術や音楽のアーティストとコラボレーションのスタイルで創っていることにはそういった意図があります。
コレクティブなクリエイションは、1人で全部こなすよりも難しいこともあります。それぞれ思いが強いアーティストが集まるのでまとめあげてくことは大変ですが、そうやって協働する力をそれぞれが身につけていくことがこれから必要になっていくだろうと感じています。DaBYが提言しているフェアクリエイションにもつながる話ですが、これまでは絶対的権力を持っている振付家などが、音楽や美術、スタッフなどを横断して統括し、一種のヒエラルキー構造の中で作品が創られていました。これをもう少しフラットな構造で各人がクリエイティビティを発揮できて、それが一つにまとまるという形ができればと思っています。キッドピボットのクリスタル・パイトなどはまさにこのような手法を実践していると思っていて、今後、社会から支持されていく作品は、こういったクリエイションのスタイルを実践する作品になっていくのではないか、とも感じています。そのためには、お互いのリスペクトが必要で、関係性としてはいわゆるピラミッド型ではなく、フラットな関係性で互いを1人の人格として認めていかなければなりません。30年間日本のダンス界を見続けてきた中で、今のクリエイション環境や関係性の構造を変えていかなければ、この世界は本当に廃れてしまうという強い危機感があるので、DaBYではこうした挑戦をを続けていきたいと思っています。
東海:『Rain』の企画の過程について教えてください。
唐津:原作の「雨」ではメインで出てくるキャラクターは5人しかいないのですが、その中で一番大きな存在感を放っているのが娼婦役のトムソンです。この作品を読んだときに、物語をそのまま描く、いわば物語バレエのような形はちょっと違うなということは最初から感じていたのですが、コンテンポラリーの今日的な作品として抽象的に描くとしても、このトムソン役は象徴になるような人が必要ではないかと直感的に思っていました。
5年前に原作を読んでからずっと頭にはあった中で、2020年の2月の終わりころに新国立劇場バレエ団の『マノン』を見に行きました。この『マノン』はコロナで劇場が閉まる前の最後の公演で、『マノン』も途中から中止になってしまったので、ぎりぎりのタイミングで見に行ったのですが、そこで、今回トムソン役を演じる米沢唯さんが、タイトルロールのマノン役を踊っていらっしゃいました。清楚なきちんとしたお嬢さんが娼婦として堕ちていくという作品終盤の第3幕の「沼地のパ・ド・ドゥ」を観たときに、私の中ではトムソン役にぴったりだなと感じました。これがこの作品を取り上げる1つの重要なキーになりました。唯さんは愛知県出身で、私自身彼女が小学校の高学年ぐらいのときからずっと踊りを見てきましたし、私が企画した「あいちダンスフェスティバル」にも学生時代から参加してくれていました。なので、ずっと前から何か一緒にできたらいいね、という話はしてきたのですが、やはりバレエダンサーなので、バレエのガラ公演など企画しないと、参加してもらうのが難しいかなと思ってきました。しかし、この作品であれば、新しい唯さんの魅力を引き出せるし、作品としても良いものができると感じたのです。
竜さんと一晩ものの作品を創りたいということと、唯さんを見てトムソン役にぴったりだと思ったこと、そして原作の感染症が蔓延している世界と現実のコロナの状況が一致したということで、一気にばらばらだったピースがひとつに集まった感覚がありました。作品を創るときは結構こういうことはあって、10年や5年といったロングスパンで考えていると、どこかのタイミングでいろいろなものが組み合わさる瞬間があります。まるで必然だったかのように集まってくるのです。だからこそ、そういった貴重な瞬間で生まれた作品は何度でも上演して多くの方に観ていただきたいと思っています。
東海:大巻さんやevalaさんとのコラボレーションが決まったきっかけはどのようなものだったのですか?
唐津:大巻さんは、2016年にあいちトリエンナーレで、メインのアーティストとして参加していただいていて、愛知県美術館の最も大きなスペースに大きな展示をしていただきました。大巻さんの作品の特徴は、作品自体が止まっていないことです。いつも揺れ動いていて、空間全体を支配するような作品で、しかも見る人がそこの中に入っていくことができる、すごく体感的な作品です。大巻さんが初めて舞台美術を制作された作品に竜さんが出演していたとの縁もありました。「雨」の舞台となる島は、作品の中で雨がひたすら降り続いています。雨がずっと降り続いていくという状況の中で、物事が少しずつ何かずれていく、人の精神にも影響を与えてくるというお話なので、これをダンスの作品にするときには、作品全体を貫く雨を観客席やダンサーも含めて何か体感できるようにしたいと考えました。そして、単なる止まっている美術ではなく、空間を大きく支配する装置としての美術が欲しいと思ったら、大巻さん以外考えられないと思いました。
evalaさんについては、かなり後になってから決まりました。実は、音楽については最初は全然決まらなくて、初めは既成曲で竜さんが良いと思ったものをいろいろと寄せ集めるところからスタートしました。その中に1曲evalaさんの曲があったのです。その後、ぎりぎりのタイミングでやはり音楽を作ってもらった方がいいとの話になり、evalaさんは雨の音を使った音楽もたくさん作ってらっしゃいますし、音楽と言いながらも、言わるゆる通常のメロディックな作品ではないことと、立体音響を主軸にされている方で、何か浴びるような感覚を持てる音楽にしたいという意味ではすごく合うのではないか、との話になりました。
東海:大巻さんの作品はダンスの中ではどのように楽しむことができるでしょうか?観客自身が作品の中を歩くなど、物理的な意味での体感は難しいですが。
唐津:ダンサーたちが動くことによって変化する大巻さんの作品を見ることができる、という体験が面白いと思います。大巻さん自身が、美術もオブジェのように静止したものではなく、動く一つの人格として、ダンサーと同じくそこに一緒に存在するものとして見てほしいとおっしゃっていて、ダンサーが動くこと、それによって影響を受けて美術が揺らいだり動いたり、変化していくみたいな、そういった関係性を見ていただくのは面白いだろうなと思います。また、今回の舞台の重要な要素に照明があります。照明の当て方によって反射したり透けたりするといった照明との関係性も見どころです。ここまで美術が観客に迫ってくるダンス作品は、私もあまり見たことがありません。
そして、大巻さんの作品は本当に繊細で、すごくたくさんの紐を使っているのでそれを今回の公演用に作る作業をサポートしてくださる方を募集しました。フェアクリエイションにもつながるところですが、DaBYを開放するということ以外にもクリエイションに関わる機会を、というところで、美術が好きだとか、創作の裏側に興味のある方に来ていただけるといいなと思います。
東海:2年前から本読みを始めたとのことですが、創作の過程について教えてください。
唐津:2年前の4月5月くらいから、先ほど発揮人の勝見さん、竜さん、大巻さん、唯さん、そしてリサーチの丹羽さんと共に本読みを始めて、この作品のどこにフォーカスをしていくのか、どんな構成にするのかという話をする中で、唯さんに演じていただきたいと思っていたトムソン役もいらないのではないか、もっと抽象的にした方がいいのではないか、といった話にもなったり、作者のモームにフォーカスするのが良いのではないかなど、とのディスカッションをしたこともありました。また、作品の切り口にしても、キリスト教世界を正とする宗教観や父権主義をベースにしている物語でもあるので、その扱い方なども論じてきました。
そうやって本当に時間をかけて作品を作ってきていますので、こうした創作の過程の一部でも観客の皆様に共有していただくことで、作品への想いみたいなものが伝わるといいなと思っています。作品自体は80分で終わってしまいますが、創る人たちにとっては本当に長い年月かけて、思いを込めて大切に大切に考えてできているものなので、同じような思いを少し共有できたらと思っています。